第一話 四谷 すし匠
航海一日目
すし匠は四谷にある。四谷見附の交差点から新宿方面へ20メートルばかり行った左の路地を曲がる。 隣は日本酒と立ち飲みで有名な四谷最古の酒屋鈴傳である。
店主中沢さんがこの地に店を開いたのは17年前、筆者がすしを常食(一週間に4回以上食すという意味であるが)していたころである。
当時の中沢さんは30代前半で店の屋号にあるように華屋與兵衛の創始した江戸前鮨をめざしていた。
鮨の発祥は、文政7年(1824年)華屋與兵衛という人が両国の回向院前に「與兵衛寿司」を開いたのが始まりと言われいている。 この背景にあるのが江戸サプライチェーンの発達であった。紀伊国屋文左ェ門が開いた太平洋航路(これを樽廻船といいます)によって 上方から江戸へ、酒、醤油、酢(ミツカンの創業者尾張国中埜家の主人中野又左衛門が粕酢を江戸に出荷したのが1810年頃のことである) が運ばれ、庶民の食卓で使用されるようになって、粕酢を使った酢飯、わさび、仕事をしたすし種(当時は鮮度管理の問題でマグロなど の遠洋のネタはなく近海江戸前のネタのみである)、煮きりによってトータライズされた現在の寿司の原型が完成した。 まだ200年も経っていない新しい文化である。
江戸前の仕事の特長は、昆布や塩や酢でかならず一仕事施すことである。 海鮮寿司のように生でだすものは少ない。新鮮で刺身で十分いけるようなネタでも必ず一仕事施す。 そのひと仕事したネタを赤酢で切ったシャリで握る。
この〆物に好都合なのが昔から江戸湾でとれた、コハダ、キス、鯵、いわし、鯖、カスゴなどの光物と呼ばれる青魚である。(すべてが青ではないが) 江戸前の光物は噛みこみながら味が口の中で変化するのを楽しむのが正しい食べ方である。手でつまむとか箸は邪道とかいうより、 シャリが口のなかから消え去るまで噛みこむというのが重要である。
これに煮ハマや蝦蛄、アナゴ、などのの甘いつめ(煮つめるのつめです。)をつけたネタがあって、それに貝類(赤貝、青柳、ミル貝、とり貝、子柱、あわび) が加わって、マグロが赤みのづけ、ちゅうとろ、おおとろに巻物が何種類かで、江戸前の仕事が完成する。おっと、番茶で煮たたことイカも定番である。 今は夏なので白身では眞子カレイ(今年は高い)星カレイ、あいなめ、ホウボウ、真鯛も美味である。
江戸前寿司は昔からレギュレーションが決まっていて、この百年で新たに登場したネタといえば、冷蔵技術やチルド輸送の技術が発達して登場した、 生のさんまや金目鯛、牡蠣くらいのものか。
昔のすし匠の鮨は、一言で言えば”くどい鮨”であった。何にでも赤酢を使ったのでネタが赤シャリに負けてしまったり、強い赤シャリを食べ続けていると 食べ疲れしてしまうような強さがあった。ワインでいうならばメドックを数本飲み続けるようなものである。
そののち東京ミシュランが発刊されて、すし匠から独立して行った弟子たちが次々と星を取っていった。(すし匠 斉藤 まさ等々)
肝心の中沢さんには星が与えられず無冠の状態がいまも続いている。
一時期は独立する弟子が絶えず、2,3年前にはカウンターを半分閉めて中沢さんひとりで握れる範囲しかお客さんを入れなかったこともある。
3年ぶりに訪問してみて、よい意味で予想を裏切られた。
中沢さんのすしは進化していたのである。
まずつまみを延々と出して最後に握るスタイルから、すしとつまみを交互に出すようになった。中沢さんは酒匠の資格ももっているので、以前から酒にこだわる人で”小鼓”が主体であったが、現在は無濾過生づめの酒を多数用意して客の嗜好で選べるようになっている。からくちからうまくちまで、鮨の味を邪魔しない食中酒としての立ち位置にこだわっている。 何より変化したのはしゃりで、赤酢と白酢をネタによって使い分けている。
そのシャリも小さい御櫃に小分けに盛って温度と粒加減を調節している。
たとえば赤酢を使用するのは車えびのような強いネタで、あとは白シャリを使うことの方が多い。またネタによっては熱(あつ)メシも使用する。
鮨の原点であるシャリへのこだわりを伝統墨守から味優先に切り替えた柔軟性はこの職人の進化を見事に証明している。
また氷温無酸素冷蔵という技法でネタ(コハダやマグロ)を腐敗ではなく熟成させて旨みをだすことにも チャレンジしている。コハダという魚は出世魚でしんこ、コハダ、なかずみ、このしろとおおきくなってゆくが なかずみから上は通常江戸前では使わない。その理由は身が厚すぎるために漬かりすぎて固くなってしまうか、 浅すぎて生臭くなってしまうからである。これを中沢さんは3日間寝かして旨みを引き出して使う。
普通は油が強くてづけのたれがうまく入らない大トロ(蛇腹とか砂ずり)も一週間氷温無酸素冷蔵して熟成させて じっくり味を入れるということを行なっている。これは冷凍設備がなかった江戸時代の魚の扱いから生まれていた 熟成(腐敗の手前)を現代風に再現したものである。
温故知新と革命が今でも共存するすし匠の鮨はまちがいなく江戸前の最前線である。