所得税のこと 第2話 「源泉徴収」


所得税法によれば、(預貯金、公債社債などの)利子、(株式などの)配当、給与、退職手当、公的年金、
報酬等、12種類の所得について源泉徴収して納付するよう定められています。(所得税法23条~25条、28条等)
ここで重要なことは、納税義務の主体がこれら12種類の所得(給与等)を支払う者すなわち会社と定められていることであり、 憲法に定められている国民すなわち所得を受け取るサラリーマン本人ではないというところです。
源泉徴収制度では、所得税を源泉徴収して国に納付する義務のあるものを「源泉徴収義務者」といいますが、(所得税法6条) 義務者は源泉徴収の対象とされている所得の「支払者」つまり多くの場合、会社や組合であって、サラリーマン本人ではありません。 これはなぜでしょうか。
参考までに所得税における源泉徴収制度の歴史をごく簡単に振り返ってみましょう。

1887(明治20)年、我が国に初めて総合所得税が導入されました。
当時租税収入の大部分は地租(現在の固定資産税に近い税目)と酒税でした。 所得税は高額所得者に対してのみ賦課されたため、多くの一般国民は課税対象となっていません。 届け出を行ったのち、地方団体(郡または区のちに府県)へ直接納付します。翌1888年の納税人口は総人口(約4000万人)の0.35%でした。 (『日本所得税発達史』高木勝一、2007年、ぎょうせい)

1899(明治32)年、所得を①法人所得②公債、社債の利子③(②以外の)個人所得に分類し、②公債、社債の利子に源泉徴収制度 (税率1000分の20)を適用しました。
これが我が国の所得税源泉徴収制度の始まりです。公債はもちろん、社債は把握が他の所得より容易であったためいち早く導入されたようです。 この年は日清戦争と日露戦争の中間の年に当たります。

1940(昭和15)年、勤労所得に対し源泉徴収制度が適用されます。
この適用により納税人員は前年(1939年)の約188万人から約408万人へと飛躍的に拡大しました。 すでに日本は中国大陸での戦争を拡大させ、国内では莫大な軍事費を調達する臨時の増税法が乱立し租税法が混乱した状態にあったため、 根本的改正を目標に立法されたという事情がありました。(『源泉徴収所得税釈義』塩崎潤、安井誠 監修、1969、第一法規)
このように徴税手続きと税額把握が容易である点(総務に丸投げしている点とも言い換えられます) そして所得税の税金を担う力が大きい点に着目して拡大されてきたのが源泉徴収制度といえます。 手続き上サラリーマンの存在は重要ではなく、徴収する義務者つまり会社や組合を相手にすれば十分だったわけです。

2011 (平成23)年度一般会計予算(2次補正後)における我が国の所得税は約13.5兆円。
これは我が国の租税等収入約41兆円の33%に当たります。(『税制について考えてみよう』財務省、2011)
近い将来の消費税増税で税の直間比率が見直されてきたとしても、所得税が歳入の大きな柱であり続けることはまちがいありません。
これは言い換えるなら会社や組合で給与事務を担当する総務の皆さんこそが、今後も我が国の収入を支える大きな柱であり続けるということなのです。

筆者TW
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